ロイヤルパインズ向かいの老舗鰻屋
浦和駅西口、旧中山道沿いのロイヤルパインズホテル向かいにある鰻屋さん。1999年に全面改装して現在のきれいなお店になりました。店舗の下に7台分の駐車場、さらに店舗裏に「イールパーキング」がありますが一方通行に面していて、出庫後は歩行者の多い通りを通り抜けて伊勢丹の裏側に出なければならないので使うのはめんどくさいと思われ。
山崎屋店内は掘りごたつのお座敷
店舗の入口は階段を上がった2階。下駄箱に靴を預けて、掘りごたつ状の座敷に案内されるスタイル。掘りごたつは膝が悪い人や、私のように脚の筋肉が太すぎる人には助かります。脚が太いと正座や胡坐はつらい…。13時過ぎの遅めの時間帯に訪れたので空いていました。
今日は久しぶりの鰻ランチ。子供の頃、鰻の並は普通の鰻で特上は一番良い鰻なんだと思っていましたが、実は鰻の量の違いだと気づいたのは大学生の頃でした(笑)。左のページにある「共水うなぎ」はロイヤルパインズホテルの裏の方にある「浜名」でも食べられます。超柔らかいフワフワの鰻を試したい方はぜひ。
今日は鰻重と肝焼きに決定~。う巻きも美味そう。
柔らかめの肝焼きは2本で1人前
注文して割とすぐに肝焼きの登場。なんと一人前が串2本だった!うなぎを注文した人は一人前分だけ、この肝焼きを注文できます。早速かぶりついてみるとタレは薄めで、焼いてあるけど柔らかめなタイプでした。私の好みはカリカリに焼いたやつなんですが、注文する時に言えば良かったかな?
山崎屋のうな重
山崎屋ではそれほど待たずにうなぎが出てきます。お新香と肝吸い付き。ランチ時間が限られている場合はありがたい。埼玉会館前の中村屋だと40分くらい待つはず。
本当はぐい~っ⤴とひねるように接近する動画で撮りたい。今度からそうしてみよう。
山椒スキーなので多めにかけた。タレご飯は子供たちも大好き。自宅の冷蔵庫にはウチの奥さんの実家の鰻屋からもらってきたペットボトル入りのタレが常備されています。山崎屋のタレは辛すぎず甘すぎない感じ。あくまで私の主観ですが。お客さんを連れてくる時に使いやすいお店ですね。
浦和に鰻屋が多い理由と地形について調べる気になった
浦和には昔から池沼が多かったので、鰻がよく獲れて鰻屋が増えたとは聞いていましたが、他にも理由があるだろうと思い調べてみました。
鰻の蒲焼にはタレが必要だ
中山道の宿場町で蒲焼を提供して評判になったのが江戸時代の三文字喜八蒲焼店(現存せず)と山崎屋平五郎蒲焼商(現在の山崎屋) 。浦和宿の町が大きくなるにつれ他の鰻屋の数も増えたようです。
そして現在の形の蒲焼きを作るために必要なのは、タレに使われる大量の醤油でしょう。1700年代後半に野田を中心とした関東醤油が容易に利用できるようになってから、タレ用の醤油利用が本格化したと推測できます。なお、現在馴染みの醤油の味である「濃口醤油」は文化・文政年間(1804~1830年)に完成したと考えられています。それ以前は上方風の薄口醤油が使われていました。
当時の醤油は野田から江戸川の舟運を使って江戸へ運ばれ、江戸から芝川→見沼代用水(1728年完成)→芝原河岸会所(さいたま市緑区芝原・新見沼大橋有料道路のたもと)、もしくは荒川の秋ヶ瀬、羽根倉、道場、彩湖道満釣り堀の辺りにあった河岸場で荷揚げされた。江戸から中山道経由の荷車利用もあり得ますが、重い醤油樽の輸送は舟便を利用したはずです。芝原の河岸から浦和宿までの距離は約5km、荒川の秋ヶ瀬や道場から浦和宿まで約4km。秋ヶ瀬・道場の方が若干近く、農繁期でも利用できた。彩湖・道満の河岸は下肥(屎尿)用だったとの記録があるので、浦和宿まで醤油樽を送るために使われた河岸(船着き場)で一番可能性が高いのは秋ヶ瀬・道場だと思います。
現在の道場の位置。道場河岸の跡は河川改修工事の影響でどこにも残っていない。
うなぎの漁場について
うなぎの供給源はどこかというと、浦和宿周囲の池沼や中小河川がうなぎの豊富な漁場だったようです。現在も目にすることの出来る別所沼や白幡沼がその名残りですね。浦和の東口だと競馬場の中を流れる谷田川がそれです。
現在は都市化が進んで、かつての池沼や川は埋め立てられたり暗渠となったものが多い。ではなぜ浦和の周囲に池沼が多かったのかというと、それは縄文海進の頃に存在した古東京湾の名残があったからなのです。貝塚の分布と地形から推測した研究によると、縄文時代には古東京湾が埼玉まで広がっていて、古東京湾に浦和が岬のように突き出ていたようです。その後次第に陸地が隆起して古東京湾が姿を消すと、その過程で浸食された低地が河川・池沼となってうなぎや川魚の豊富な漁場となったようだ。
貝塚の分布と地形から推測する古東京湾
約100年前に関東平野の貝塚の位置を地図にプロットして残した研究者の資料(上記)が、現在でもよく自治体の資料などとして使われています。この地図を読むと、大宮から続く台地の先端が浦和と川口市の北東部で、貝塚が遺跡として多く残されています。浦和の辺りだと大戸の貝塚ですかね。武蔵浦和~中浦和~南与野駅の線路沿いにある低地もかつての古東京湾の入り江で、その後荒川に接続する鴻沼となったのでうなぎや川魚を獲りやすかったでしょう。また、太田窪~浦和競馬場~本太坂下交差点を流れる藤右衛門川(別名谷田川、競馬場から北側は暗渠)も古東京湾の小さな入り江の名残で、うなぎの豊富な漁場だったそうです。近くに小島屋という有名な鰻屋もありますね。
国土地理院の自然地形図で確認してみる
国土地理院の電子国土Webをいじくると 、現在の地図にかつての湿地帯や河道を重ね合わせた自然地形図を見ることができます。この地図を見ると武蔵浦和駅がかつての荒川の河道の真上に建っていることが分かります。ほほ~。そして南浦和~武蔵浦和間に見られる坂道や段差がかつての海岸跡もしくは荒川による侵食跡だということもこの地図で読み取れます。埼玉県庁~埼玉県警東側の窪地も白幡沼に繋がる湿地の跡地だったかもしれません。さらに見沼田んぼの中を流れる芝川や、浦和美園を流れる綾瀬川はまさに古東京湾の名残ですね。
街道沿いの宿場町で人が多く、鰻の漁場が周囲に豊富、醤油やみりんの舟便輸送が容易だったため、鰻屋が浦和に増えた
というわけで、うなぎなど川魚の漁場が近くにあり、醤油やみりんなど調味料の仕入れが舟便で容易にできる浦和宿は鰻屋が増える要素がたっぷりだったようです。浦和の他にも川魚料理を出す店がある場所は醤油樽の供給ルートが近くにあるはずです。こうした歴史を調べてみるのも面白いですね。
【参考文献】
彩の川研究会 (2015)「 埼玉の舟運と現在も残っている河岸の歴史(本編)」
「資料編(調査票・さいたま越谷方面)1-1」
「資料編(調査票・さいたま越谷方面)1-2」
山崎屋の基本情報
店舗名 | 山崎屋 |
ジャンル |
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特徴 |
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電話 | 048-822-7116 |
地図 | |
アクセス | 浦和駅北口5~6分、西口から徒歩7~8分 |
自転車 | 店舗下の駐車場の端に止められるかも。 |
駐車場 | 店舗下の駐車場(7台)か周辺のコインパーキング。 |
所在地 | さいたま市浦和区仲町1-10-8 |
営業時間 | 11:30~14:00、17:00~20:00 |
定休日 | 月曜・火曜(祝日の場合は営業) |
予算 | うなぎ3,000~7,000円 |
WEB | http://yamazakiya.net/ |
店舗SNS | なし |